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諏訪町神功皇后

神功皇后と武内宿禰

2008年12月25日 21時00分00秒 |   ・諏訪町曳山
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平成20年12月25日(木)

 おわらの道で有名になった、諏訪町曳山の神様です。「神功皇后と武内宿禰」(じんぐこうごう と たけのうちのすくね)です。昨年までは、ここまでの表示でしたが、今年販売の曳山冊子には、「神功皇后・武内宿禰・後の応神天皇」と記載され、武内宿禰に抱かれた赤子を、正式に曳山人形神として記載されました。神功皇后の子供で、八幡社系列で祭神として祀られています。

 「神功皇后」
 女性でありながら、戦いの象徴、軍神とされてきました。明治の軍事教育においても、重んじられてきたが、実在の人物か否かは定かではないとされている(明治以降の考え方)。聞くところによると、関東方面の多くの「曳山」「山車」「台車」「鉾」などの人形神には、この「神功皇后」が乗せられているそうです。八尾曳山の歴史を見ても、東町曳山も1742年の創建時には、「神功皇后」を曳山神として3年間曳き廻しています。あまり知られていませんけど・・・。

 「武内宿禰」
 武内宿禰は、日本で一番長生きをした人物とされています。300年の間天皇家の軍師として、主に神功皇后の朝鮮出兵で大武勲を挙げたとされています。上新町曳山彫刻の一つに「武内宿禰に龍神が乾珠、満珠を奉るの図」があり。実に、神功皇后の参謀として朝鮮に渡ろうとする武内宿禰に、龍神が現れ「塩乾珠と塩満珠」を献上し航海の安全を守護したという、伝説を彫ってあります。

 「応神天皇」
 神功皇后と仲哀天皇の、子供とされています。神功皇后の朝鮮遠征の際には、腹の中にいたとされる説と、すでに生まれていたとの説があります。すでに生まれていたという説では、遠征に際し神功皇后は応神天皇を地中に埋め、一切を捨て朝鮮出兵に掛けて航海に挑んだとされています。地中に埋められた応神天皇は、写真にも写っている「鳩」に、食べ物を与えられ生き延びたとされている。そんな流れで、諏訪町曳山の屋根には、鉾留めとして「鳩」が安置されています。※この件は、諏訪町の先輩からの教授による。


 製作・明治15年(1882)
 作者・翠田彦七郎(上新町住人であった人形師)

 ※写真撮影・提供、上新町MK先輩

                                つづく     


引っ越してきました
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八尾原人
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